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- 中村郷(古代)とは
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中村郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中村郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」山城国綴喜【つづき】郡十郷の1つ「続日本紀」神護景雲元年正月18日条に「無位中村王」が見え,「新撰姓氏録」左京神別上に「中村連 己々都牟須比命子天乃古矢根命之後也」と見える当郷を本貫とする氏族であろう下って,長保3年4月8日付の山城国禅定寺田畠流記帳に「綴喜郡中村郷畠」が見え,「楡瀬里」「下古川里」の里名が知られる(禅定寺文書/平遺408)比定地については,城陽市中あたりとするのが通説であるが,禅定寺田畠流記帳に見える里名から,井手町南部とする説もあり未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中村郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」忍海郡四郷の1つ高山寺本・東急本ともに訓を欠く「和名抄」以外には見えない「続紀」宝亀5年10月己巳条には,国君麻呂は天平宝字2年大和国葛下【かつげ】郡国中村に居る故に,姓として国中連を賜わったと見える当郷と国中村との関係は明らかでないが,「地名辞書」は同一地を示すかとする忍海郡の中心とするならば,現新庄町忍海付近に比定できるが確証はない(地名辞書)なお「姓氏録」左京神別上には「中村連」として「己々都生須比命の子,天乃古矢根命の後なり」とある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中村郷(古代) 役内【やくない】川流域の古代郷名出羽国雄勝【おがち】郡中村郷(和名抄)秋ノ宮の中村がその遺名であるここは出羽国最上【もがみ】郡と有屋【ありや】峠で,陸奥国玉造【たまつくり】郡と鬼首【おにこうべ】峠で接する交通の要衝に当たるはじめ庄内・由理【ゆり】から中央勢力の達していた雄勝地方に最上郡から達する駅路が開かれた天平宝字3年以後,この地域の持つ重要性は確立した中村郷という名もそれと対応して生まれたのであろう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中村郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中村郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中村郷(古代) 平安期に見える郷名男衾【おぶすま】郡のうち「和名抄」男衾郡8郷の1つ現在の大里郡川本町大字畠山・本田付近を地域とする説(大日本史国郡志・地理志料)と,大里郡寄居【よりい】町のうち旧男衾【おぶすま】村地域一帯とする説(地名辞書)がある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中村郷(古代) 平安期に見える郷名賀美【かみ】郡のうち「和名抄」賀美郡4郷の1つ現在の上里【かみさと】町から神川【かみかわ】町にわたる一帯とする説(地名辞書)がある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中村郷(古代) 平安期に見える郷名秩父【ちちぶ】郡のうち「和名抄」秩父郡6郷の1つ現在の秩父市域に比定されている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」